深い対話による解決が新市場創造の可能性を持つ。その好例がトヨタ自動車の小型車「ラクティス」の「車椅子仕様車タイプⅡ」だ。
最大の特徴は、バッグドアのスロープから乗り入れた車椅子を「1・5列目」に設置できることだ=写真。運転席から車椅子の子供に、すぐに手が届くことが大きな意味を持つ。
開発を手がけた中川茂氏は、自身の子供が障害を持つことから福祉車両部門への異動を希望した。開発に当たり、まず身体の不自由な子供を持つ母親の実態を調べつくそうとした。
中でも自宅近くの特別支援学校に通う重度障害を持つ子供の母親との出会いが、重要な転機となった。
母親の気持ちに近づこうと、時間をかけて日常生活を詳しく聞いていくと、母親は子供を車で送迎していることが分かった。駐車場で車椅子から子供を抱きかかえ、自動車の助手席に乗せる様子を観察させてもらい、写真にも収めた。
雨の日は困るだろうと思い尋ねると、母親にしてみると雨の日にぬれるのは当たり前のことで、ましてや車を改良できるとは思っておらず、困っているとは実感していなかった。
中川氏は、既存の小型車にスロープを備えた車椅子仕様車であれば、雨の日でも、屋根のあるところに車をつけやすく、バッグドアから車椅子が入れられると考えた。誰も雨にぬれずに済む。この解決法を、母親に提案した。
だが、母親の返事は意外なものだった。「それでは、車椅子が後部に設置されていて、怖くて乗れない」。上半身が不自由な子供は、首が前に倒れやすいが、自分で戻せない。この状態だと、気道が塞がって危険なので、運転席から手を伸ばして、体を戻してあげることが必要という。
こうしたやり取りから、内装開発の経験がある中川氏が思いついたのが「1・5列目」というアイデアだ。助手席を前に折り畳み、車椅子を固定できるようにした。試作車両を製作して、母親に見せたところ、反応も良かったことから、開発を進めたという。
単なる観察だけでは意味がない。状況を想像して解決する深い対話こそが重要なのだ。提案したからこそ見えた解決法だからだ。
だが、深い対話は簡単ではない。信頼関係が不可欠だ。「短時間の立ち話から始め、録音やメモをとらずに、相手の目をみてしっかり話す。写真も、関係を深めてからしか撮らなかった」と中川氏は話す。(法政大学経営学部教授)
西川英彦(2014)「深い対話が生む市場 ― 福祉車、信頼築き完成(西川英彦の目)」『日経産業新聞』2014年8月21日 付け、p.15